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ニラク・ジー・シーホールディングス誕生の軌跡(シリーズ4)

2017年3月3日   お知らせ

ニラク・ジー・シーホールディングス誕生の軌跡(シリーズ4)


 

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谷口社長) 私は、日本に初めてホスピタリティの精神を育てるきっかけをつくったのは、千利休が最初ではないかと思います。歴史を遡っていけば明らかですが、千利休は日本人のおもてなしの精神茶道における人間の心がけ、奉仕の行為を体現した安土桃山時代の茶人です。

 

一般的におもてなしとは、ホスピタリティと訳されることが多いですが、おもてなしには、「ふるまう」「ご馳走する」という意味があるそうです。「ご馳走する」と言いますか、「馳走する」。昔は今のように食材が簡単にお店で買えたわけではありません。食事をふるまうために、馬を馳せたり自分で狩りや収穫をしたり、それこそ走り回ってふるまったわけです。

 

お客様のために走り回って、いかにおもてなしをするかを一生懸命に考え、行動する。私はこのようなことが日本のホスピタリティではないかと考えています。世界には日本のこうした文化はなかなかありません。

 

浅野) ないですね。

 

谷口社長) 今回、私どもが上場しました香港は、ロンドンやニューヨークと並ぶ世界でも重要な国際金融センターと位置付けられており、世界経済における確固たる地位を確立しています。上場にあたり、私自身も香港に足を運ぶ機会が増えましたが、街を歩きますと、色々な言語が飛び交い、多種多様な人種と文化が触れ合っている、実に刺激的で魅力的な環境がある街だとつくづく驚かされています。

 

他の新興アジア諸国も同様の様相だと思っていますし、このような多様性のある国や街に、日本のホスピタリティは十分に受け入れられる可能性があると確信をしています。

 

浅野) ほんとですね。

 

谷口社長) こうした面からも、これまで我々が日本で60年以上商売を続けながら培ってきたQ・S・C(クォリティ・サービス・クリンリネス)のノウハウを今後は海外に輸出して、そこで出来上がった新しいノウハウをまた日本に持ってくるという様に、相乗効果を上げていくことが出来ればと考えています。

 

今回、海外からパチンコはどのように見えるのかということが上場して初めて分かりました。様々な産業でグローバル化が進む中、どうしてパチンコは日本だけで70年も続いているのか、日本のレジャーとは一体何なのか、内からではなく、外から日本を見ていく必要があります。こうしたことは、やはり海外に上場しないと出来ないと思います。

 

浅野) それもまた、上場に至った理由の一つなんですね。

 

谷口社長) 上場にあたって、多くの様々な方からのお祝いの手紙や言葉をいただきましたし、社員の親御様も大変喜んでいらっしゃったと聞きました。

 

やはり、お前が選んだ会社は間違いなかったと思って頂いたことが、社長として何よりも嬉しいことです。上場してすぐに従業員の生活が劇的に変わってくるものではありませんが、数年後、数十年後には必ず社会からの信頼度が変わってくると信じています。上場はきっかけに過ぎませんが、資金調達以上に価値のある企業経営のステージにようやく上ったという様に感じます。

 

浅野) ニラクって言う名前は、どちらから取られたのですか?

 

谷口社長) ニラクという名前は、創業者である父の谷口哲義が会津若松商工会議所の6代目会頭から譲り受けたもので、”お客様に楽しんでいただくことを自分の楽しみにする”という二つの楽しみへの想いを込めています。

 

2010年の創業60周年を記念して制作した社章には、漢数字の二をぐるりと丸で囲み、その中に”楽”と刻んでいます。創業者、谷口哲義は建前を本音で「誠」に生きた、嘘をつかない人間でした。創業者である父が背中で教えてくれたことは、嘘を言わない、人を偽らない、人を欺かない、己を欺かないということです。

 

父は、自分も喜ぶために相手も喜ばせなくてはだめだ、相手が喜べば、自分も喜ぶ、というような精神を持っていました。このような精神があったからこそ、現在のわが社には、お互いが楽しい、自分が楽しみたいのであれば、相手も楽しませる、相手が楽しくなるということは自分も楽しくなる、このような意味を多く含んだ現在のビジョン「ホスピタリティとエンターテイメントを革新的に融合させた事業で生活文化の向上を図る」が存在しています。

 

浅野) あの御社のスローガン、明るく楽しく面白く でしたか?これはニラクからですか?

 

谷口社長) いいえ、これはニラクの創業理念からきています。

 

相手が楽しければ自分も楽しい、自分が楽しくなりたいのであれば、相手を楽しませる、お互い様である。このような精神のもと、平成4年10月1日に発表された「球(まる)の経営」という理念が原点になっています。

 

浅野) まるの経営?

 

谷口社長) はい、「まる」というのは球体のことです。球(まる)は創業者である父の身体の奥深くからにじみ出るような人間性と風貌そのものを現しています。例えば、球いボールですと、壁に投げれば真っ直ぐ戻ってきますし、柔らかいボールを強く握ったとしてもポンと離せばすぐ球に戻ります。直球勝負とでも申しましょうか、球のような人間でした。

 

そのような父の後姿を見て育った私たちは、自ら誠心誠意、真心のこもったサービスを日々実践していたある日、お客様から「ありがとう」と明るい返事をいただきました。妙な気がして本当に驚きました。当時、実はその一言が超繁盛店へのシグナルとなりました。誠を返せば、誠が返る。

 

やはりそこには、三方良しの考え方にも似た、家族良し、従業員良し、お客様良し、を体現した人物像がありました。そのような人物像を一つの理念にするのが、我々兄弟の役割だろうということで、30年以上も前に兄弟で話し合い、球(まる)の経営という言葉を理念として制定しました。

 

球(まる)の経営理念が10数年続いた頃、当時台頭し始めた新卒たちが中心となり、我々経営者と一緒に球(まる)の経営を基盤とした次のニラクを創ろうということになりました。ほぼ全員の従業員が仕事前や仕事帰りに集まり、 ニラクってどんな会社?現状の気持ちは?どうしていきたい?等、漠然とした質問に答えながら、ニラクについて各々の想いをポストイットカードに書いてもらいました。約9,000件ほど集まりました。この膨大な件数を、この括りは「明るく」、この括りは「楽しく」、この括りは「面白く」というように分類分けしていきました。

 

浅野) KJ法ですね?

 

谷口社長) はい、そうです。球(まる)の経営の精神を原点としながら、全従業員で積み上げて作った言葉が、現在の「明るく 楽しく 面白く」という経営理念になっています。

 

理念というのは見れば見るほど、惚れ込んで惚れ込んで、寝ても覚めても、いつもその言葉が目に焼き付くような、そのように思える言葉でないと納得できないものです。振り返りますと、不思議なものでニラクという名前は会津若松の方から名前を譲り受けたことに始まり、約60年以上前から、現在の「明るく 楽しく 面白く」というところまで、よくここまで繋がったとつくづく感慨深いものがあります。

 

浅野) それを育てたのは御社ですよね?

 

谷口社長) そうです、ありがたいことにだんだんそうなってきました。

 

浅野) パチンコ産業の停滞がはじまったのは、この2~3年ですか?

 

谷口社長) そうですね。3~4年くらい前ではないでしょうか。

 

浅野) その前は、超優良業種でしたよね。それをまた違った意味で超優良業種にすることを目指すと。

 

谷口社長) はい、やはりパチンコホールの業態、フォーマットを確立していかなれば生き残っていくことは出来ません。パチンコ事業そのものを日本でしっかりと定着させられる業態に変えていく必要があります。

 

今思えば、デフレと言われ続けたここ15~16年、可処分所得の概念も生活習慣も随分と変わりました。この先、人口減少、少子高齢化がますます進んでいきますので、パチンコ産業に限らず、市場が縮小していくのは避けられないでしょう。ただ、その下降曲線を緩やかにしていくことは出来ます。

 

今、最も求められているのは、いつでも来て、いつでもやめられる”身近で手軽な”遊びです。それに合った新しいパチンコホールの業態、フォーマットに変えていく必要があります。これまでと同じやり方では通用しません。世の中の人達が初めて経験するような社会になっていかなければならないと考えています。

 

浅野) その道をニラクが切り開いていくということでしょうか?

 

谷口社長) はい。そのためにも日本という枠組みの中だけで、物事を考えていても前に進んでいくことは出来ません。海外で様々なノウハウと経験を培い、それを日本に逆輸入にして、今までにない産業を創り上げていくことがとても大事なことだと思います。

 

浅野) つまり、パチンコ業界を変革し、真の産業化を目指す、ということでしょうか?

 

谷口社長) そうです。真の産業というのは、簡単に言えば「なくてはならないこと」ですが、パチンコ業界は、まだまだなくてはならないものになっていないと思いますし、志を共にする従業員とその子供たち、ご家族の皆様のためにも、そうした産業に変わっていかなければならないと思います。

 

浅野) 最後にお聞きしたいのですが、やはり福島県には何か特別な思いというものをお持ちなのでしょうか。

 

谷口社長) はい。地元である福島県に恩返しができる大きな企業体にしたいと考えています。企業がどんなに大きくなっても福島を離れることなく、地域に密着していきたいと思っています。わが社は福島県で60年以上育てていただいた企業であり、本社は郡山にあります。香港上場や、たとえ震災があろうともニラクが事業体として創業した地です。

 

この創業の地でなんとか、本当の意味での、グローバル企業になりたいと考えています。アメリカのニューヨークにある企業や日本における東京の企業だけが、グローバル企業ではないと思います。香港証券取引所への上場によって、福島県からグローバル企業がどんどん出るような、ひとつの足がかりになれればと思います。

 

福島県には若手経営者も数多くいらっしゃいますので、我々の香港上場や、今後海外にもチャレンジしていく事が、彼らの事業拡大の意欲をかきたて、積極的に海外にもチャレンジする良い機会となり、素晴らしい企業が続々と誕生し、福島県が東北の中心地と言える立派な県になっていけるのであれば、我々が60年以上、この地福島県で商売させていただいてきた最大の恩返しだと思っています。

 

浅野) 福島起点のグローバル企業というスタンスは、100年経っても変えるつもりはないということですね。

 

谷口社長) 変えるつもりはないです。

 

浅野) 3・11への特別な想いはお持ちでしょうか?

 

谷口社長) 震災直後、地域の金融機関の皆様、お取引先様から多くの支援や応援、お言葉を頂きました。また、被災地の店舗が再オープンした時には、地域の多くのお客様がご来店され、従業員とお客様が抱き合い、再会を喜んで下さいました。

 

パチンコ事業を通じて、地域、社会への貢献をしていくことは当然ですが、このような店舗とお客様との信頼関係があるコミュニティの場となることが非常に大事であると思っています。震災以降、我々の香港証券取引所への上場というのは、企業体として本格的にこれからビジョン実現のために精進するという良い旗印になったと思います。

 

浅野) チャレンジ精神ですね(笑)

 

谷口社長) これだけはもう、必ずやり遂げる覚悟です。

 

浅野) 楽しみですね。

 

谷口社長) そうですね。

 

浅野) ありがとうございました。

 

谷口社長) すみません、御社の趣旨と、合っていましたでしょうか。

 

浅野) 合ってます。カジノジャパンという雑誌にのせさせてもらいますけども、たまたま香港の証券取引所に上場した、福島県の会社が、パチンコ業界だったということだけのことですから。そういうくくりで、私今日お邪魔してますので。大感激ですよ。

 

私、ちょっと自分のこと言って恐縮ですが、私社長と一緒で、自分に言い聞かせているポリシーがありましてね。負けない逃げないあきらめない、これがまず1つと。55歳で280円から起業した時に思ったのが、思ったというか、自分に言い聞かせてこの10年間仕事をして来たのは、好きな人と好きなことを好きなようにやる、

 

谷口社長) それは最高ですね。

 

浅野) 好きな人っていうのは別に、気心が合うとか好きだとか、そういう事ではなくって、尊敬できる、そういうもっと複雑な気持ちが、好きな人ということなんですね。私は今日は好きなことを、ようするに福島から好きな人と、リスペクトしますから。

 

谷口社長) 本当に嬉しいですね。ありがとうございました。

 

浅野) お忙しい中お時間頂いて、ありがとうございます。

 

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